日記R04.07.07

昨夜は結局議員会館に泊まり、朝、県民文化健康福祉委員会のバスを追いかける形で、出発し、10:40~の伊那合同庁舎の現地調査に地元議員として参加。

伊那保健福祉事務所長と上伊那地域振興局長から概況説明。

コロナウイルス感染症について、上伊那管内の報告がありました
・第5波までと、第6波からでは発生件数が異なり、保健所としての対応も異なった。。
・第1、2波の時は、感染者は少なかったが、未知の感染症でワクチン・内服薬もなく、日本中が緊張していた時期で、医療機関も保健所の手探り状態で業務を行った。
・第3波の後半からワクチン接種が開始され、対処療法だが内服薬や点滴も出てきた
・保健所や医療機関が困ったのが第4波。多くの感染者で肺炎像があり、上伊那圏域の伊那中央病院、昭和伊南総合病院の確保病床を増やして対応して貰った。が、これでも足りずに木曽圏域、飯田圏域諏訪圏域にも入院を依頼した
・第5波は省略し、令和4年になって始まった第6波。令和3年12月までの感染者数が約500人だったが、それと同数の511人が令和4年の1月に出た。
・保健所の仕事
①疫学調査により感染拡大を防ぐこと、②医療の管理下におくこと】
の二つあるが、この時期のウイルスの特徴として
①感染力が強く潜伏期間が短いこと、②軽症で済むことが多いこと】
が分かってきた。
・保健所の業務はこれに合わせて、
感染拡大防止の疫学調査と保健所で行う検査を縮小し、
重症化リスクのある感染者を医療の管理下に置くこと
に転換した。
→1月21日、振り分け診療の絞り込み と 集中的疫学調査 に移行
(これは、飯田保健福祉事務所が先行して行った業務見直しに倣った)
・3月まで新規陽性者が増加減少と一進一退で、オミクロン株のピークが3月初旬、オミクロンの変異株のピークが4月中旬。
・その後、GWのあと5月中旬にもう一度ピークがあり、やっと落ち着いてきた、、、と思ったら
・7月になり、再度増加の兆しがある
といった報告でした。

Q.市町村から保健師などの協力は?
A.松本や下伊那はあったと聞いているが、上伊那では事前にそういった打ち合わせをしてこなかったからか、あまり上手く連携ができなかった。

Q.民間の病院からのコロナ病床提供は?
A.上伊那はない。

Q.疫学調査の変更の評価は?
A.県庁の指示の前に、飯田保健福祉事務所で動いた。所長が感染症の専門で話を聞いて倣った。「コロナが変わってきているのだから、我々も変わらなければ!」と

上伊那地域振興局については、
・子ども支援施策で、子どもの第三の居場所、、、として伊那まちBASEの説明があり、委員からも幾つかの質問がありました。

Q.子どもカフェの現状は?
A.コロナ禍で生活に影響を受けている世帯、食料品などの生活必需品の高騰など、更に厳しくなっている

Q.伊那まちBASEのついて
A.第三の居場所。経費は日本財団の3年間の支援をうけている。
コロナ禍で不十分なところもある。

・・・・・といった内容でした。

その後、午後一で伊那建設事務所長より、
伊駒アルプスロードの先行工事区間(天竜川の渡河部)と昨年夏の大雨で橋梁の基礎部が露わになった大田切川の国道153号の区間について、説明を受けました。

その後、JA上伊那さんや信金さんを訪ね、お話をさせて頂きました。
夕方、一件約束の時間を間違えてしまい、関係される皆さんに大変ご迷惑をお掛けしてしまいました。(本当に申し訳ありませんでした)

夜、とある方々の新旧歓送迎会にお誘い頂き、出席。
大人数では難しいですが、初めてご一緒させて頂く方はもちろん、久々の方ともゆっくり話ができ、とても貴重な時間となりました。
ご企画頂いたHさん、本当にありがとうございました。

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