本日から新政策議員団のメンバーで2泊3日の県外視察。
お昼に神戸空港に集合し、レンタカーにて岡山県は西粟栗村にある西粟倉森の学校へ
木材加工会社、、、ですが、原木流通、製材、乾燥、加工、販売まで一貫のモノづくりに取り組んでいます。
受けた説明から・・・
・株式会社エーゼログループは、村の人事部を担う
・森の学校、、、廃校になった学校をもともと使ったので。
・で、両方醸成されてきたので、昨年一緒のグループにした
・今年、東京で西粟倉村の15事業所の事業説明会をした
・東京から人材を引っ張ってくれないか、、、ということでのイベント
・村には、20~40代の世代が結構いる(移住)
・A0層、、、森の土の表面にある、生命を育むための大切な層のこと
・A0層があるからこそ、森の物質循環、、、
・地域にとってのA0層のような会社を目指して
・事業概要未来の里山の実現に資する、、、ローカルベンチャー
・今、8つの事業を行っている
・資源に対して、、、サーキュラーエコノミーとか言われるが、
・資源は「ゴミ」って思った瞬間からゴミ
・1330人の村、、、
・いろいろやっていると、「村のために良くやりますね!」と言われる
・が、、、特に役場とA0グループで協力してやっている、、、とかはない
・自分たちとすると、やりたいことをやっているだけ。
・子ども、、、1学年10人ぐらいずついるので、複式学級にはなっていない
・「未来の里山」(結果として制裁されていく人を含む生態系、人と生き物たちの相利共生)
→自然の育み合うを積み重ねていく
・工場稼働2年目、、、2012年
・売上一億2000万円、営業赤字8400万円
・不足資金 1億円、全社員給与カット 約半数の社員が退職
・2014年、売上2億450万円、営業黒字217万円、債務超過解消
・4年目で解消できた
・資源じゃないモノを資源にしていく
・「火中の栗」を拾いに行く
→その積み重ねがコトを生む
→→その結果として売上と利益が生まれる
・村には、、、○○杉、とか○○ヒノキなどはない
→劣勢木の伐採から
・鳥取からの街道沿いではあるが、85%が人工林だったりするので、紅葉も綺麗ではない。
・高速の無料区間は+
・社長、、、もともと村へコンサルで入った、合併しない村に
・2008年 百年の新林構想、、、旗揚げ
・西粟倉村の前村長 道上氏「50年かけて村をつくり直そう」
・スーパー、、、30分ぐらいかかる
・西粟倉村は、近隣ではなく都会から移住を呼び込む
→この村だけではなく、周りの市町村も増えれば、と思う
→近隣と上手くできたら!と思っている、、、自治体間の連携
・1330人の17%ぐらいが移住者
・2006年にはじまったローカルベンチャーの増殖
・1300人ちょっとの小さな村で
・これまでの15年の間に78に事業が生まれた
・想いを持った若者のチャレンジが集い
・地域に豊かな彩と多様な生態系が生まれつつある
→小さな村の可能性が見えてきた
・ローカルベンチャースクール
・西粟倉村、、、もともと危機感を持っていた
・TAKIBIプロジェクト、、、①億円以上のビジネスを生み出す
・うなぎ食べ継ぐプロジェクト(うなつぐプロジェクト)
→ヒトとウナギは育み合うことができるのか
Q.なぜここに製材所を立地したのか?
A.小さな木工所や製材所は3つ、もともとあった。が、15年前は林業はかなり衰退していた。当時は丸太で出していた。西粟倉の木材を使いたかったので、市場へ買い戻しに行った。
「どこの連中かもわからない奴らに売れるか!」
とった意見もあった。
西粟倉村には木材の市場はないけど、村の木を、皆さんの力で付加価値を付けて売りたい!ということで
Q.製材されたものはどこへ売っているか?
A.搬出先は、地元の工務店。プレカット工場もある。
Q.なぜ、4年目に黒字化?
A.代表は、国、総務省とつながりがあり、県を飛ばして国から補助を貰ったり
A.前村長、、、村の人事部をになって欲しい、、、と。
A.近隣からの雇用ではなく、首都圏、都会からの人を雇用しよう、、、と
協力隊員が51人もいたり、株式会社エーゼログループにも若者が集っていて、、、
小さな村ですが、何だか明るい活気を感じられました。
決して交通の便が良い場所ではありませんが、
人が人を呼ぶ、、、見習いたい部分です。
しかし、、、このように成功するのはなかなか難しい。
尖った人が活躍できるような環境を整備し、
人を呼び込む人を呼び込む(?)ことができるよう、、、
いろいろな人が居付くように、、、
遠回りでも土壌をつくりたいな、、、と思いました。
しかし、、、本当に様々な事業を手掛けていて、、、
こういったことが近い将来の田舎の企業の在り方かもしれないなーと思いました。
コメント